沿革

宮田用水って?

宮田用水樋門絵図(江戸時代)
宮田用水樋門絵図(江戸時代)
犬山頭首口
犬山頭首工
昭和20年当時の用水風景
昭和20年当時の用水風景
宮田用水関係市町
(画像クリックで主要幹線水路図)
埋設した水路の地上部を公園化
(一宮市内・奥村井筋)
子供たちによるコイの放流(美和町内)
子供たちによるコイの放流(美和町内)
住民参加によるクリーン作戦(一宮市内)
住民参加によるクリーン作戦
(一宮市内)

 天下分け目の関ヶ原の戦いからわずか8年後の1608年(慶長13年)徳川家康の命令により木曽川の堤防が整備され、そのとき木曽川に水の取り入れ口を造ったのが宮田用水の始まりです。宮田用水は、名古屋市、一宮市をはじめとする7市、6町にまたがる約6,114ヘクタールの田んぼに水を送るための農業用水路を管理しています。

 大むかしから木曽川はたびたび洪水やはんらんを起こし、取り入れ口は何度もこわされ、安定した取水口を求めて上流へ、上流へと移動していきました。

最終的に、1957年(昭和32年)から国営事業(国が行う仕事)により、鵜飼いとお城で有名な愛知県犬山市の犬山頭首工を新設しました。(国営濃尾用水土地改良事業)

宮田用水が1年間に木曽川から取水する量はなんと2億8千万トン!ナゴヤドーム224杯分の水が用水路を通って田んぼに送られます。流れる水の量は一番多いときで1秒間に27トン。25mプールをわずか13秒でいっぱいにしてしまう水量です。

 宮田用水が管理する用水路は、35路線で総延長は329km。排水路は、28路線で総延長は170km。あわせて、500km。東京大阪間の距離に匹敵します。

 では、宮田用水はどのように管理しているのでしょう?宮田用水は、その地域に田んぼを耕作する農家の人たち(組合員)が作る団体です。組合員はお金を出して(賦課金と言います)水路を補修したり、除草を行ったりすることに使います。

 水路には、田んぼに水を入れる用水路とたんぼに入った水を出す排水路があります。宮田用水はむかし用水も排水も同じ水路を使う用排兼用水路でした。しかし、高度経済成長時の昭和40年代、急激な都市化によって用水の水が汚されました。

 そこで、1969年(昭和44年)から国営事業により、用水路と排水路を分ける工事が行われ、用水路は地下に管水路(パイプライン)として流れ、今までの水路は排水専用の水路となりました。(国営濃尾用水第二期土地改良事業)

 犬山頭首工は、造られて40年の月日がたったことや、木曽川の川底が下がったことで全面的に補修する必要があることと、排水路は、都市化に伴い排水機能が下がり、大雨が降ると川があふれるなどの危険性が増しています。

 こうしたことから、平成10年から新しく国営事業により、災害の未然の防止や農業被害の解消を図る事業が行われています。(国営新濃尾土地改良事業)

 30年前の宮田用水は、農業用水だけでなく、ある時は野菜などの洗い場として、ある時は子供達の遊び場として、用水や田んぼにすむ生き物たちの生活の場としてかけがえのない存在でした。

 ところが近年、その当たり前の光景が当たり前でなくなってしまったのです。水路にはポイ捨てゴミがあふれ、田んぼの生き物は減り、地域に住む人々は用水に関心を持たなくなってしまいました。

 農業農村は食料生産の場であるだけでなく、様々な役割を果たしています。例えば、田んぼに雨を貯めることによって下流の洪水被害を少なくしたり、地下水位維持や河川環境維持、そしてすばらしい田んぼの風景がつくられたりします。これらの役割も宮田用水が農業水路の適切な管理を続けてきたためとも言えます。

宮田用水は、21世紀に果たす取り組みとして、流域の用水と排水の一体的整備をすすめるのはもちろんのこと、大都市近郊の土地改良区として「都市との共生」をはかっています。