都市との共生を目指して

1000年余り、地域を潤しつづけてきた農業用水

私たちの農業用水の歴史は、平安中期(1001年)尾張国司に着任した大江匡衝が支派川の一つ(現在の大江川)を開削したことに始まります。

その後、1600年「関ヶ原の戦い」を経て、徳川家康の命により尾張治水の一環となる木曽川整備のため、その左岸に「御囲堤」が築造されました。これにより小さな川が締め切られ、木曽川の水が地域に流れ込まなくなったことから、改めて木曽川から取水するための石組みの水門、水路が造られ、現在に至る用水の原型ができあがりました。

私たちの用水は、今日まで1000年あまり、濃尾平野の中央部を潤し、農業基盤の礎となっています。

都市との共生をめざす私たちの取り組み

時は移って現代。私たち農業用水は、7市6町に及ぶ約6,114haを農地と農業を支えています。しかし、一方で名古屋市を中核とする中京工業圏にあることから、著しい都市化の波にさらされ、兼業化の進行はもちろん、日を追うごとに非農家が増え、地域の混住化は進んでいます。

そこで、土地改良区本来の役割として流域の用水と排水の一体的整備を進めるのはもちろんのこと、大都市近郊の土地改良区ならではの取り組みとして“都市との共生”をはかっています。

21世紀を迎えて、私たちの土地改良区は・・・・

都市との共生を考える場合、大きなテーマとして登場するのが「地域と共に生きる農業用水の姿はどうあるべきか?」です。かつて農業用水は大人から子供まで、暮らしの中で親しまれていました。それを、もう一度新しい形で取り戻したい。

しかし、私たちの用水はほとんどがパイプラインで地中を流れ、地上を流れているのは雨水、生活雑排水、産業排水などの排水です。水質の悪化が深刻化しており、まず流水の浄化が先決となります。また、地中のきれいな用水の一部でも地上に戻し、水に親しめる場として住民に提供できないか、といったことも検討課題です。

土地改良区の愛称『水土里ネット』

いずれにしても、こうした問題は土地改良区のみならず、地域、行政が一体となって取り組まなければ解決できません。現在検討を進めていますが、関係市町とも協議、連携をはかり、暗渠部の上部利用と水環境整備に取り組んでいます。